いい大人の男たちが弾けてる(笑) |
3月31日マイアミビーチで開催されたラテンミュージックアワードでのマークの記事を発見しました!以下、Billboard.comの記事です。
スターが集結する心温まるセレモニーにて
BMIがセルヒオ・ジョージ、エスピノサ・パス、オラシオ・パレンシアを讃える
「あなたは僕の轍でした。あなたは僕の車でした。」
マークアンソニーがセルジオ・ジョージの受賞の場でコメント
BMIはラテン作曲家などを讃える第22回ラテンミュージックアワードを、3月31日にマイアミビーチのフォンテーンビューホテルで開催した。授賞式では、オラシオ・パレンシアが4回目となるソングライター大賞を受賞し、ユニバーサルミュージックパブリッシンググループが今年の出版社大賞を受賞した。
BMIのソングオブザイヤーはチャートでトップを飾ったメキシコのヒット"El Ruido de tus zapatos”。歌手でソングライターのエスピノサ・パス作曲、Editora Arpa Musical/ Ferca Global Publishingによる出版。
受賞式でのセルヒオジョージとオラシオパレンシア |
一方でこの夜のハイライトはプロデューサーで作曲家のセルヒオ・ジョージへの賞だった。セルヒオはラテン音楽に最も影響を与え成功したパイオニアの一人であるとしてBMI社長賞を受賞した。賞は長年の友人であるマークアンソニーから手渡された。
BMI社長CEO、セルヒオジョージ、カイクサンタンデル カルロスビベスとマークアンソニー |
「あなたは僕の轍でした。あなたはわたしの車でした。」マークアンソニーはセルヒオがフリースタイルの音楽を模索していたときに、最初のサルサアルバムをプロデュースしたときのことを回想しながら感情的にコメントした。
「何をするのか分からないまま、この男とすt塩にいました。セルヒオはいつも"Distrutalo(楽しもう)"と僕に言っていました。何が生まれるかは全くわかりません。生まれたサウンドは和音を奏で、その時までどうするのか分かりませんでした。セルヒオはこれまでずっと僕の支えになってきました。サルサをレコーディングしていないここ数年も、僕は誰を呼ぶか。セルヒオです。いつもセルヒオなんです。」
もちろんセルヒオは、マークの初期のヒットをプロデュースしただけではなく、2013年のメガヒット"Vivir Mi Vida”も手がけた。同楽曲は同年のビルボードのホットラテン音楽チャートの最長No.1となった。
「このことを知っていただきたい。」二人がスタジオでどのように働いていたか説明しながら観客に語りかけた。「僕らは楽譜もないままでスタジオに座ってすわっていたんです。何にもない状態です。セルヒオが完璧なる天災であることは、彼がいつもオープンであったということです。そして僕は仲間のミュージシャンと一緒にこの会話が交わされた場に居合わせたことを誇りに思います。(中略)あなたこそ重要人物だったんです。僕はいつでも必要とされるたびににあなたのサポート役となります。任せてください。」
セルヒオはラテングラミーのプロデューサー賞を4度受賞しており、この記録を越えた人物はいない。長年にわたり数々のラテンスターをプロデュースし、トップストップミュージックという彼独自のレーベルを立ち上げ(プリンスロイスやレスリーグレースなどを初期にプロデュース)最近ではサルサオールスターが揃うSalsa Gigantesを結成した。
「僕のキャリアは、ティト・プエンテのバンドのキーボード担当として雇われて、9ヵ月後に解雇されたときに始まりました。」セルヒオは笑いながら話した。仕事を失ったことがきっかけでコロンビアに移り、音楽作成のさまざまな方法を模索することになった。その後プエンテは彼を再雇用することになる。
「僕が言いたいのは、一つのドアが閉じるとき、もう一つのドアが開くということ。」彼はプエンテが一流であることと、彼の長年にわたる協力に感謝しながら付け加えた。また彼はBMI社長でCEOのマイク・オニール、ラテン音楽副社長のデリア・オルヘラ、そして「もう一人の母から生まれた僕の弟」マークアンソニーへの感謝を述べた。
それからセルヒオはバンドとともにステージに立ち、現在一緒に活動をしているキューバン歌手のLaritza Bacallaoと"Si te contara"を演奏した。
授賞式の最後はスターCharlie Aponte, Oscar D'LeonとJose Albertoのサルサメドレー”El Canario” だった。マークアンソニーとカルロスビベスは、我慢できずにステージに上がって一緒に踊っていた。
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